lilacのアメリカライフ

アメリカ生活をライラックの目線からお届けできたらと思います。、ダルメシアンのハルちゃんとの思い出の記録

地球という星の聖殿

聖地を訪ねて精誠を捧げなければなりません。イスラエル民族は、エルサレムの聖殿を失いましたが、それが聖殿になるのではなく、この地球が聖殿にならなければなりません。この地球という星が聖殿にならなければならないのです。この地が聖殿になれない時は、この地にすがって皆さんが涙をながさなければなりません。聖殿の実体基盤に代わる聖地にたいして、涙を流し得る因縁を備えてこそ、皆さんがこの地の主人になれるのです。(1963.6.20)

私たち祝福家庭の願いは真のご家庭と因縁を結べる事が誇りであり栄光であるわけです。謙遜にいう人も結局はそうです。なぜ教会の教えに従順になろうとするのか?

幹部という方々も真の子女様と結んだ因縁を絶対絶命としてそこを離れること自体が自分の存在価値をことごとく否定されていると思うから自分がそういう信念で生きている自分が、自分が。

地上の席は数が限られているわけです。

一度座ったものは絶対何があっても嵐に吹かれても蹴飛ばされても寒さに震えながらも譲ることはありません。どんな小さな席でも一度座ったら皆そうです。

しかし私はつい最近、席を譲る人を知りました。

自己をすてて家族のために、家計のために病気がちな妻の為に、子供のために、皆がなんと言おうとも家族はその人を感謝し、神様もその人の判断に祝福を与えることでしょう。最も身近で大切なもののために自分を犠牲にしているのですから。

世界のために生きる、口で言うほど簡単ではありません。人の為に生きる、これもかんたんではありません。結局家族のために生きないものはより大きなもののために生きているとは口ばかりで儚い夢物語の自己満足に過ぎないわけです。結局は…。そんなわけで、私の心はとても感謝です。そしてより真実に生きる事の素晴らしさとは何なのかと悟らされているところです。

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