まず父母の心を案じる子女とならせてください
文鮮明先生の祈祷
まず父母の心を案じる子女とならせてください
【 いつも、
取るに足らないか弱いこの群れたちとともに苦労なさるお父様、
寂しい立場でもいつも耐えられながら、
私たちを勧告なさるお父様、
悲しみの環境に独り責任を負われ、
私たちの安慰のひと日を開拓するために先頭に立ってこられたお父様、
そのようなお父様であられることを思いますとき、
お父様を心情の主人として侍ることのできない、
不孝極まりない私たちを受け入れてください。
無限に無限に永遠なる生命をもって、
私たち自体を復活させ、
きょうも創造歴史を継続なさるお父様であられることを、
全く知らなかった足らない私たちを、
お父様受け入れてください。
今、
襟を正し、
あなたの聖なる性相を見詰めながら、
欽慕と思慕の心情に徹することのできるひとときを待ち望んでおりますので、
お命じになりたいことがございますなら、
お尋ねになって、
私たちの体と心に染みわたるようお命じくださいまして、
新しい命令の因縁を通じて、
あなたが願われるところに向かって行くことができなければ、
そこに向かって、
お父様、
むちを取り上げ打ったとしましても、
その場に行けるようにしてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
お父様の前に祭物として捧げられるべき私たち自身であるにもかかわらず、
そうできませんので、
お父様が追いやってでも、
引っ張ってでも、
あなたの祭壇まで私たちを導いてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
分別のつかないイサクを連れ、
モリヤ山に向かっていくアブラハムに、
その子供のイサクが、
祭物として使う羊はどこにありますかと聞きましたときに、
「それはお前が心配することではない」
と言ったアブラハムの心を察するときごとに、
その父母の心を察するときごとに、
私たちを導いてくださるお父様の心に、
どれほど悲しみが前に立っているかを感じるものでございます。
私たちはお父様の心を案じる前に、
自分自身と自分の周辺の事実を案じるときが多かったということを考えますとき、
今、
私たちは自分を越えて、
まずお父様の心を案じ、
お父様の主流を守ることができる、
真情なる孝の中の孝を尽くし、
忠に忠を尽くす、
お父様の前になくてはならない息子.娘となり、
その国の民とならなければならないということを自覚する、
この時間とならなければなりません。
自覚だけではなく、
信念とともに誓うこの時間となるよう、
許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
このすべてのみ言を真の父母のみ名によってお捧げ申し上げました。アーメン(1971.9.5)
お父様の祈祷はアルパでありオメガのように始めで有り終わりである一点の嘘偽りなく只々神様のために生きてこられた事が祈祷文を通しても感じられます。
そして時空を超えて生きていると思いませんか?