lilacのアメリカライフ

アメリカ生活をライラックの目線からお届けできたらと思います。、ダルメシアンのハルちゃんとの思い出の記録

ひとりで聖書研究会

ユダの手紙


『主は、

自分たちの地位を守ろうとはせず、

そのおるべき所を捨て去った御使いたちを、

大いなる日のさばきのために、

永久にしばりつけたまま、

暗やみの中に閉じ込めておかれた


エノクの預言

「見よ、

主は無数の聖徒たちを率いてこられた。

それは、

すべての者にさばきを行うためであり、

また、

不信心な者が、

信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、

さらに、

不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである」


主イエスキリストの使徒たちが予告した言葉

「終わりの時に、

あざける者たちがあらわれて、

自分の不信心な欲のままに生活するであろう。」

彼らは分派をつくる者、

肉に属する者、

御霊を持たない者たちである。』



ヨハネの第一の手紙

『神は光であって、

神には少しの暗いところもない。』



ヤコブの手紙

『誘惑にあう場合、

「この誘惑は、

神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、

また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。

人が誘惑に陥るのは、

それぞれ、

欲に引かれ、

さそわれるからである。

欲がはらんで罪を生み、

罪が熟して死を生み出す。

愛する兄弟たちよ。

思い違いをしてはいけない。


愛する兄弟たちよ。

このことを知っておきなさい。

人はすべて、

聞くに早く、

語るにおそく、

怒るにおそくあるべきである。

人の怒りは、

神の義を全うするものではないからである。


舌は小さな器官でではあるが、

よく大言荘語する。

見よ、

ごく小さな火でも、

非常に大きな森を燃やすではないか。

舌は火である。

不義の世界である。

舌は、

私たちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、

全身を汚し、

生存の車輪を燃やし、

自らは地獄の火で焼かれる。

あらゆる種類の獣、

鳥、

這うもの、

海の生物は、

すべて人類に制せられるし、

また制せられてきた。

ところが、

舌を制しうる人は、

ひとりもいない。

それは、

制しにくい悪であって、

死の毒に満ちている。

わたしたちは、

この舌で父なる主をさんびし、

また、

その同じ舌で、

神にかたどって造られた人間をのろっている。

同じ口から、

さんびとのろいとがでてくる。


兄弟たちよ。

苦しみを耐え忍ぶことについては、主の御名によって語った預言者たちを模範にするがよい。

忍び抜いた人たちはさいわいであると、

わたしたちは思う。

あなたがたは、

ヨブの忍耐のことを聞いている。

また、

主が彼になさったことの結末を見て、

主がいかに慈愛とあわれみに富んだかたであるかが、わかるはずである。』



テトスへの手紙

『実は、

法に服さない者、

空論に走る者、

人の心を惑わす者が多くおり、

とくに、

割礼のある者の中に多い。

彼らの口を封ずべきである。

彼らは恥ずべき利のために、

教えてはならないことを教えて、

数々の家庭を破壊していまっている。


彼らは神を知っていると、

口では言うが、

行いではそれを否定している。


愚かな議論と、

系図と、

争いと、

律法についての論争とを、

避けなさい。

それらは無益かつ空虚なことである。』



テモテへの第一の手紙

『ある人々に、

違った教えを説くことをせず、

作り話やはてしのない系図などに気をとられることもないように、命じなさい。

そのようなことは信仰による神の務めをはたすものではなく、

むしろ議論を引き起させるだけのものである。


神はただひとり不死を保ち、

近づきがたい光の中に住み、

人間の中で誰も見たものがなく、

見ることもできないかたである。』


ここで一言、

系図の中に入り込むことは宇宙規模、無限大の迷路に入り込むことになるのでしょうかね。

唯一神から多神になることはまさにそこでしょうか。

ますますシンプルではなくなるようです。

私は唯一神がいいです。

神様に兄弟がいて子供がいてそこもまた神様になって………

記憶力と時間の無駄です。そう思いませんか?




テモテの第二の手紙

『俗悪なむだ話と、

偽りの「知識」による反対論とを避けなさい。

ある人々はそれに熱中して、

信仰からそれてしまったのである。


彼女たちは、

常に学んではいるが、

いつになっても真理の知識に達することができない。


聖書は、

すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、

人を教え、

戒め、

正しく、

義に導くのに有益である。


人々が健全な教えに耐えられなくなり、

耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、

自分勝手な好みにまかせて、

教師たちを寄せ集め、

そして、

真理からは耳をそむけて、

作り話の方にそれていく時が来るであろう。』


ここで一言、

あるある現代でも、

そして過去も今も昔も人の考えることはおんなじですね。



テサロニケ人への第一の手紙

『兄弟たちよ。

あなたがたにお勧めする。

怠惰な者を戒め、

小心な者を励まし、

弱い者を助け、

すべての人に対して寛容でありなさい。

だれも悪をもって悪に報いいないように心がけ、

お互に、

またみんなに対して、

いつも善を追い求めなさい。

いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事について、

感謝しなさい。』


テサロニケ人への第二の手紙

『私たちにあなたがたが見習うように、

身をもって模範を示したのである。

また、

あなたがたのところにいた時に、「働こうとしない者は、

食べることもしてはならない」と命じておいた。』


ここで一言、「働かざる者食うべからず」思想はここから生まれたのでしょうか。

厳しい信仰生活の中で、

してはいけない!あれもこれも!そうして許しと愛の神様より恐れと強制の宗教支配へと人間は導かれたのでしょうか。

神と人間はいつひとつとなれるのでしょうか。


聖書の自己学習今日はここまでにします。

読んでくださった方の健康をお祈りします。

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