lilacのアメリカライフ

アメリカ生活をライラックの目線からお届けできたらと思います。、ダルメシアンのハルちゃんとの思い出の記録

じいちゃんの命日

私のじいちゃんの命日が近づいてきました。

働き者でした。

とにかくパンとかまんじゅう、餅を作るのが天才的でした。

あの味を受け継いだ者は一人もいません。あんなに甘いもの好きのじいちゃんの子ども達も残念なことに誰も料理の味覚のDNAは、受け継がなかったようです。

どの店を探してもあのじいちゃんの味のパンやまんじゅうそして餅、にあったことはありません。

アメリカにあるTRADER Joe’s のアイリッシュブレッドが「オッ!」と思う味の年がありました。が次の年からまた味は変わります。毎年味見してますがあの味に近いものはありません。

じいちゃんは、よく近所親戚に自転車で作りたてのものを配達していました。

みんなが喜んでくれるのが楽しみの一つでした。

蕎麦も自分で作ります。できないものがないです。

死ぬまで丈夫な時は洗濯も自分のものは自分でしていました。

生きていたら100歳をとうに超えています。

亡くなってから何年か後に夢を見ました!

「お金はあるか?大丈夫か?」

と、じいちゃんばあちゃんがゆめにでてきました。


(18才から家を出た私は、自分のしたいことして何年も帰らない時もあり申し訳ない者です。)


ちょうど金欠病の貧乏神に取り憑かれていたので夢の中で心配してくれるじいちゃんばあちゃんにはありがたく力をもらった夢でした。

その後妹から連絡がありました。

「久しぶりにじいちゃんばあちゃんの夢ば見たよ」

「私も見たよ」

「じいちゃんばあちゃんがアメリカまで行って帰りのわからんて夢の中でいわしたよ。」

「私の夢にこらしたもんね。」

要するに私の夢に出てきて

妹の夢にも出てきたと言う会話です。

霊界に行っても孫娘が心配な様です。

ありがたいご先祖様。

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