lilacのブログ

宗教、アメリカ生活、私の病気、子育て、ペットの事など書いていこうと思います。

聖書から見る理想の男性、女性像とは?愛とは?

『聖書から見る女性像』


マッサの王レムエルの言葉、すなわちその母が彼に教えたものである。

わが子よ、何を言おうか。わが胎の子よ、何を言おうか。わたしが願をかけて得た子よ、何をいおうか。

あなたの力を女についやすな、王をも滅ぼすものに、あなたの道を任せるな。

レムエルよ、酒を飲むのは、王のすることではない。濃い酒を求めるのは君たる者のすることではない。

彼らは酒を飲んで、おきてを忘れ、すべて悩む者のさばきを曲げる。

濃い酒を滅びようとしている者に与え、酒を心の苦しむ人に与えよ。

彼らは飲んで自分の貧乏を忘れ、その悩みをもはや思い出さない。

あなたは黙っている人のために、すべてのみなしごの訴えのために、口を開くがよい。

口を開いて、正しいさばきを行い、貧しい者と乏しい者の訴えをただせ。

だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。

その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない。

彼女は生きながらえている間、その夫のために良いことをして、悪いことをしない。

彼女は羊の毛や亜麻を求めて、手ずから望みのように、それを仕上げる。

また商人の舟のように、遠い国から食糧を運んでくる。

彼女はまだ夜のあけぬうちに起きて、その家の者の食べ物を備え、その女たちに日用の分を与える。

彼女は畑をよく考えてそれを買い、その手の働きの実をもって、ぶどう畑をつくり、

力をもって腰に帯し、その腕を強くする。

彼女はその商品のもうけのあるのを知っている、そのともしびは終夜消えることがない。

彼女は手を糸取り棒にのべ、その手に、つむを持ち、

手を貧しい者に開き、乏しい人に手をさしのべる。

彼女はその家の者のために雪を恐れない、その家の者はみな紅の着物を着ているからである。

彼女は自分のために美しいしとねを作り、亜麻布と紫布とをもってその着物とする。

その夫はその地の長老たちと共に、町の門に座するので、人に知られている。

彼女は亜麻布の着物をつくって、それを売り、帯をつくって商人に渡す。

力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。

彼女は口を開いて知恵を語る、その舌にはいつくしみの教がある。


彼女は家の事をよくかえりみ、怠りのかてを食べることをしない。

その子らは立ち上がって彼女を祝し、その夫もまた彼女をほめたたえて言う、

「りっぱに事をなし遂げる女は多いけれども、あなたはそのすべてにまさっている」と。

あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。

その手の働きの実を彼女に与え、その行いのために彼女を町の門でほめたたえよ。(箴言31章より)



『聖書から見る男性像』


こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。

また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。

また、不品行といろいろな汚れや貪欲などを、聖徒にふさわしく、あなたがたの間では、口にすることさえしてはならない。

また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい。

あなたがたは、よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。

あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下るのである。

だから、彼らの仲間になってはいけない。

あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい―

光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである―

主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。

実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。

彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。

しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。

明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。

そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、

今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。

だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。

酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、

詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。

そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、

キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。

妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。

キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。

そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。

夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。

キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、

また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。

それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。

自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。

わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。

「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。

この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。

いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。(エペソ人の手紙5章より)


聖書でいう理想的男女が築く愛とは?


預言(託された神のことばを語る)の賜物があり、あらゆることに通じていても、また山を動かすほどの強い信仰を持っていても、愛がないなら、何の価値もないのです。 そして、自分の財産を全部、貧しい人たちに分け与えても、また福音を宣べ伝えるために火あぶりの刑を受けても、愛がなければ、何の価値もありません。

愛は寛容であり、親切です。愛は決してねたみません。また、決して自慢せず、高慢になりません。 決して思い上がらず、自分の利益を求めず、無礼なふるまいをしません。愛は自分のやり方を押し通そうとはしません。また、いら立たず、腹を立てません。人に恨みをいだかず、人から悪いことをされても気にとめません。 決して不正を喜ばず、いつも真理を喜びます。 愛は、どんな犠牲をはらっても誠実を尽くし、すべてを信じ、最善を期待し、すべてを耐え忍びます。

神からいただいた賜物や能力は、いつかは尽きます。しかし、愛は永遠に続きます。預言すること、異言で語ること、知識などの賜物は、やがて消え去ります。 たとえ特別な賜物が与えられていても、いま私たちの知っていること、預言することは、ほんの一部にすぎません。しかし、私たちが完全な存在とされる時、これら不完全な賜物は不要になり、消え去ってしまうのです。それは、こんなことから説明できるでしょう。子どもの時の私は子どものように話し、子どものように考え、子どものように判断していました。しかし、大人になると考え方も成長し、今では子どもっぽいこととは縁を切りました。 同様に、今の私たちの神に対する知識や理解は、そまつな鏡にぼんやり映る姿のようなものです。しかし、やがていつかは、面と向かって神の完全な姿を見るのです。いま私が知っていることは、おぼろげで、ぼんやりしています。しかしその時には、いま神様が私の心を見通しておられるのと同じように、すべてがはっきりわかるでしょう。

いつまでも残るものが三つあります。信仰と希望と愛です。その中で最もすぐれているものは愛です。

(コリント人への第一の手紙13章より)


これから家庭を持とうとされる若き人たちへ、聖書の聖句を送ります。


良き相対者が見つかりますように。アージュ!

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