lilacのアメリカライフ

アメリカ生活をライラックの目線からお届けできたらと思います。、ダルメシアンのハルちゃんとの思い出の記録

兄弟姉妹…

【終末に処している現代人は、

何よりもまず、

謙遜な心をもって行う祈りを通じて、

神霊的なものを感得し得るよう努力しなければならないのである。

つぎには、

因習的な観念にとらわれず、

我々は我々の体を神霊に呼応させることによって、

新しい時代の摂理へと導いてくれる新しい真理を探し求めなければならない。

そして探しだしたその真理が、

果たして自分の体の内で神霊とひとつになり、

真の天的な喜びを、

心霊の深いところから感ずるようにしてくれるかどうかを確認しなければならないのである。

このようにすることによってのみ、

終末の信徒たちは、

真の救いの道をたどっていくことができるのである。】

人類歴史の終末論

原理講論


この道歩んでいく中で自分が納得できない…

このアベルは変だ…

そんな時は自分の心の声をよく聞くようにしてます。

生きていくうえで生活もあるので上司やアベルには刃向かえない人間関係もあるでしょう。

しかし自分につく嘘の代価は心と体の病気です。

永遠に完全な人間はいません。

善悪判断の道、努力しかないですね。


ルカによる福音書

イエスは目をあげ、

弟子たちを見て言われた、

「あなたがた貧しい人たちは、

さいわいだ。

神の国はあなたがたのものである。

あなたがた いま飢えている人たちは、

さいわいだ。

飽き足りるようになるからである。

あなたがた いま泣いている人たちは、

さいわいだ。

笑うようになるからである。

人々があなたがたを憎むとき、

また人の子のためにあなたがたを排斥し、

ののしり、

汚名を着せるときは、

あなたがたはさいわいだ。

その日には喜びおどれ。

見よ、

天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。

彼らの先祖も、

預言者たちに対して同じことをしたのである。

しかしあなたがた富んでいる人たちは、

わざわいだ。

慰めを受けてしまっているからである。

あなたがた今満腹している人たちはわざわいだ。

飢えるようになるからである。

あなたがた今笑っている人たちは、

わざわいだ。

悲しみ泣くようになるからである。

人が皆あなたがたをほめるときは、

あなたがたはわざわいだ。

彼らの先祖も、

にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。

しかし、

聞いているあなたがたに言う。

敵を愛し、

憎む者に親切にせよ。

のろう者を祝福し、

はずかしめる者のために祈れ。

あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、

あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。

あなたに求める者には与えてやり、

あなたの持ち物を奪う者からはとりもどそうとするな。

人々にしてほしいと、

あなたがたの望むことを、

人々にもそのとおりにせよ。

自分を愛してくれる者を愛したからとて、

どれほどの手柄になろうか。

罪人でさえ、

自分を愛してくれるものを愛している。

自分によくしてくれる者によくしたとて、

どれほどの手柄になろうか。

罪人でさえ、

それくらいの事はしている。

また返してもらうつもりで貸したとて、

どれほどの手柄になろうか。

罪人でも、

同じだけのものを返してもらおうとして、

仲間に貸すのである。

しかしあなたがたは、

敵を愛し、

ひとによくしてやり、

また、

何もあてにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。

いと高き者は恩を知らぬ者にも悪人にも、

なさけ深いからである。

あなたがたの父なる神が慈悲深いように、

あなたがたも慈悲深い者となれ。人をさばくな。

そうすれば、

自分もさばかれることがないであろう。

また人を罪に定めるな。

そうすれば自分も罪に定められることがないであろう。

ゆるしてやれ。

そうすれば、

自分もゆるされるであろう。

与えよ。

そうすれば、

自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、

ゆすり入れ、

あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。

あなたがたの量るその量りで、

自分にも量りかえされるであろうから」。



イエスはまた一つの譬えを語られた。

「盲人は盲人の手引ができようか。

ふたりとも穴に落ち込まないだろうか。

弟子はその師以上のものではないが、

修業をつめば、

みなその師のようになろう。

なぜ、

兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。

自分の目にある梁を見ないでいて、

どうして兄弟にむかって、

兄弟よ、

あなたの目にあるちりを取らせてください、

と言えようか。

偽善者よ、

まず自分の目から梁を取りのけるがよい、

そうすれば、

はっきり見えるようになって、

兄弟の目にあるちりを取りのけることができるだろう。

悪い実のなる良い木はないし、

また良い実のなる悪い木もない。木はそれぞれ、その実でわかる。いばらからいちじくを取ることはないし、

野ばらからぶどうを摘むこともない。

善人は良い心の倉から良い物を取り出し、

悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。

心からあふれ出ることを、

口が語るものである。

わたしを主よ、

主よ、

と呼びながら、

なぜわたしの言うことを行わないのか。

わたしのもとにきて、

わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ているか、

あなたがたに教えよう。

それは、

地を深く掘り、

岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。

洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、

それを揺り動かすことはできない。

よく建ててあるからである。

しかし聞いても行わない人は、

土台なしで、

土の上に家を建てた人に似ている。

激流がその家に押し寄せてきたら、

たちまち倒れてしまい、

その被害は大きいのである。」



善の繁殖を頑張りましょう。

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