礼拝後の子供達との会話
礼拝後の高校生、大学生の子供との会話です。
亨進ニムが韓氏オモニの宗教的、神学的問題を話される度に、思うことがあります。
それを聞いているお孫さんがたは大丈夫か?ハルモニと孫子の関係です。
もし子供たちの立場ならどうか?
子供の中にもそこまで考えなかった。という答えと…
じつは、そんなこと考えていた。という答え…
そこまで考えなかった…などいろんな話をしました。
神様の摂理だからこう考えなければとかは、まだまだ理解出来ないかもしれないと考えると、人間的?ですか?
それともそれがその方々の責任分担にしてしまいますか?
それともメシヤのお孫さんだから大丈夫とかんがえますか?
そんな会話をしながら私はそんなことも考える事もたいせつではないかなあ?という話をしました。
何気ない会話でした。目には見えない心の痛みをわかりあえる事の大切さ。摂理だから、み旨だから
人情より天情を優先させることが大事ですか?
人から言われたくないことは人にも言わず人にしてほしいことは、人にしてあげる、もしその一言で傷つけたら自分にも帰って来るかもしれません。
恩着せがましくいう食口を見ると自分がすべて私達を面倒見たように言うそういう立場でもないのに関係もないのに自己の位置を離れたような人もいます。
奴隷と自由…
亨進ニムの話される奴隷解放のお話。
統一教会にはびこった奴隷制度…共産主義…
闘い方を知らなかったら知らず知らずにまた同じ繰り返しです。
奴隷を手放すことはその主人にとっては、大変な決意と損失です。何が何でもあの手この手を使うと思います。
天一国…自由が保証された国。その為にも国民として生まれ変わらなくてはなりませんね。そんなことを考えて今日も一日ありがとうございます。