lilacのブログ

宗教、アメリカ生活、私の病気、子育て、ペットの事など書いていこうと思います。

ヘブル人への手紙

【御使いたちはすべて仕える霊であって、

救いを受け継ぐべき人々に奉仕するため、

つかわされたものではないか。

ただ、

「しばらくの間、

御使いたちよりも低い者とさた」


「きょう、

あなたがたがみ声を聞いたなら、

荒野における試練の日に、

神にそむいた時のように、

あなたがたの心を、

かたくなにしてはいけない。

あなたがたの先祖たちは、

そこでわたしを試みためし、

しかも、

四十年の間わたしのわざを

見たのである。

だから、

わたしはその時代の人々に対して、

いきどおって言った、

彼らの心は、

いつも迷っており、

彼らは、

わたしの道を認めなかった。

そこで、

わたしは怒って、

彼らをわたしの安息にはいらせることはしない、

と誓った」。


「きょう、

み声を聞いたなら、

神にそむいた時のように、

あなたがたの心を、

かたくなにしてはいけない」。


神の言は生きていて、

力があり、

もろ刃のつるぎよりも鋭くて、

精神と霊魂と、

関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、

心の思いと志しとを見分けることができる。

そして、

神のみまえには、

あらわでない被造物はひとつもなく、

すべてのものは、

神の目には裸であり、

あらわにされているのである。

この神に対して、

わたしたちは言い開きをしなくてはならない。



あなたがたは、

光に照らされたのち、

苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、

思い出してほしい。

そしられ苦しめられて見せ物にされたこともあれば、

このようなめに会った人々の仲間にされたこともあった。

さらに獄に入れられた人々を思いやり、

また、

もっともまさった永遠の宝を持っていることを知って、

自分の財産が奪われても喜んでそれを忍んだ。

だから、

あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。

その確信には大きな報いが伴っているのである。

神の御旨を行って約束のものを受けるため、

あなたがたに必要なのは忍耐である。



信仰とは、

望んでいる事がらを確信し、

まだ見ていない事実を確認するこ

とである。


「わたしの子よ、

主の訓練を軽んじてはいけない。

主に責められるとき、

弱り果ててはならない。

主は愛するものを訓練し受けうけいれるすべての子を、

むち打たれるのである」。


イエス・キリストは、

きのうも、

きょうも、

いつまでも変わることがない。

さまざまな違った教えによって、

迷わされてはならない。

食物によらず、

恵みによって、

心を強くするがよい。

食物によって歩いたものは、

益を得ることがなかった。】


読んでくださった方に

神様の祝福がともにありますよに

お祈りいたします。

ヨハネによる福音書

ヨハネによる福音書


【神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。


それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、


永遠の命を得るためである。


神が御子を世につかわされたのは、


世をさばくためではなく、


御子によって、この世が救われるためである。


彼を信じるものはさばかれない。


信じない者はすでにさばかれている。


神のひとり子の名を信じることをしないからである。


そのさばきというのは、

光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。


悪を行っている者はみな光を憎む。

そしてそのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。


しかし、真理を行っている者は光に来るその人の行いの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。】




【上からくる者は、すべてのものの上にある。


地から出る者は、地に属する者であって、地のことを語る。


天から来る者は、すべてのものの上にある。


彼はその見たところ、聞いたところをあかししているが、だれもそのあかしを受けいれない。


しかし、そのあかしを受けいれる者は、神がまことであることを、たしかに認めたのである。


神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。


神は聖霊を限りなく賜うからである。


父は御子を愛して、万物をその手にお与えになった。


御子を信じる者は、永遠の命をもつ。


御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである。】


読んでくださった方に神様の守りと導きがありますようにお祈りいたします。

まず父母の心を案じる子女とならせてください

文鮮明先生の祈祷


まず父母の心を案じる子女とならせてください


【 いつも、

取るに足らないか弱いこの群れたちとともに苦労なさるお父様、


寂しい立場でもいつも耐えられながら、


私たちを勧告なさるお父様、


悲しみの環境に独り責任を負われ、


私たちの安慰のひと日を開拓するために先頭に立ってこられたお父様、


そのようなお父様であられることを思いますとき、


お父様を心情の主人として侍ることのできない、


不孝極まりない私たちを受け入れてください。


無限に無限に永遠なる生命をもって、


私たち自体を復活させ、


きょうも創造歴史を継続なさるお父様であられることを、


全く知らなかった足らない私たちを、


お父様受け入れてください。


今、

襟を正し、

あなたの聖なる性相を見詰めながら、


欽慕と思慕の心情に徹することのできるひとときを待ち望んでおりますので、


お命じになりたいことがございますなら、

お尋ねになって、


私たちの体と心に染みわたるようお命じくださいまして、


新しい命令の因縁を通じて、


あなたが願われるところに向かって行くことができなければ、

そこに向かって、


お父様、

むちを取り上げ打ったとしましても、

その場に行けるようにしてくださいますことを、

懇切にお願い申し上げます。


お父様の前に祭物として捧げられるべき私たち自身であるにもかかわらず、


そうできませんので、


お父様が追いやってでも、

引っ張ってでも、

あなたの祭壇まで私たちを導いてくださいますことを、

懇切にお願い申し上げます。


分別のつかないイサクを連れ、

モリヤ山に向かっていくアブラハムに、


その子供のイサクが、

祭物として使う羊はどこにありますかと聞きましたときに、


「それはお前が心配することではない」


と言ったアブラハムの心を察するときごとに、


その父母の心を察するときごとに、

私たちを導いてくださるお父様の心に、

どれほど悲しみが前に立っているかを感じるものでございます。


私たちはお父様の心を案じる前に、

自分自身と自分の周辺の事実を案じるときが多かったということを考えますとき、

今、

私たちは自分を越えて、

まずお父様の心を案じ、


お父様の主流を守ることができる、


真情なる孝の中の孝を尽くし、

忠に忠を尽くす、

お父様の前になくてはならない息子.娘となり、


その国の民とならなければならないということを自覚する、


この時間とならなければなりません。

自覚だけではなく、

信念とともに誓うこの時間となるよう、

許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、

このすべてのみ言を真の父母のみ名によってお捧げ申し上げました。アーメン(1971.9.5)


お父様の祈祷はアルパでありオメガのように始めで有り終わりである一点の嘘偽りなく只々神様のために生きてこられた事が祈祷文を通しても感じられます。


そして時空を超えて生きていると思いませんか?