lilacのブログ

サンクチュアリ教会との出会いで今までの偏り複雑な思考回路をシンプルにする為のブログです。

偽善者…

信仰生活が砂漠を彷徨うことがあります。喉が渇き、疲れて歩めない。偽善者が…あそこにもここにも…鏡の法則ではもっとも私が偽善者なのですが。

そんな時はクリスチャンソング。

亨進様の礼拝は沢山のうたをうたわれます。

涙で心を洗い流し

声を出して神様を讃美し

命の尊さ。

生きています。

ありがとうございます。

闇は消え去り…

太陽の光が差し込む…

たまに断食して空腹を感じるから食物にも感謝です。

鳥のさえずり

雨上がりの樹木のかおり。


感謝です。

沈没船…

教会は船だ!会社は船だ!

沈むときは共に沈む!

それを聞いた時

困るという気がしました。


若い世代にバトンを渡す時ではないかと。


やはり、位置を去る時がきたのではないでしょうか?

なぜできないのでしょうか?

責任者に去ってほしくない方々のためにでしょうか?

いままでみ旨の為に天に積まれた宝があります。

食べるには困らないそれ以上の神様の導きがあるとおもいます。


聖書を引用します。伝道の書


伝道の書と般若心経が似ていると思いながらよんでみました。

面白くてだいだい目を通してみました。

時間にしてみるとどれくらいかけてまとめられたのでしょうか?

気の遠くなるほど長い時間を感じます…

バトンを渡したらいいという私の思いも時間の流れからしたらなんてこともない事のようにおもいます。


働かざる者食うべからず

健全な身体は健全な身体に宿る

戦後はこうして国の復興のために誰もが働き五体満足丈夫な体に感謝していたのですね。

今も昔も働きたくても働けない人

体、心、病気をもつひとに対する姿勢はどうでしょうか?

差別はなくなったでしょうか?

実績無いものは食うべからず?

病気で苦しんでいる人はチョンピョンに献金もっていくこと?

自分が無い前に定められた病気を先祖のせいにしなくてはいけないそういうふうにした周りの環境…隠さなくては差別される恐怖…なぜ?人の目?病気に対する無知?

天一国はどんな国でしょうか?まだ行ったことも見たこともないけど…

一人一人の命を大切に出来る国造りをしたいものです。汗水流して畑を耕し自然に合わせて時間を過ごす。それもいいですね。森羅万象同じものは何一つなくてもそこには調和があり美しく障害を持つ人も差別なく生きれる。誰かが悪かったからこうなった…それは

無知からは死が生まれまるようなものでしょう。健康に生まれたのに自殺者も多いです。戦後何もない時代は皆必死だったのでしょう。人の事に目を向ける余裕もなかったのでしょう。豊かになっても心が変わらない限りずっとおなじようです。世の権力者と教会幹部は違いを見つけるのがむずかしくなりました。

責任転換の癖は堕落性本姓


できない時は出来ません

お金の借り入れ書にサインしなさいと命令されても返せません。


教会長は自分の両親より年配の婦人食口を怒鳴りつける。金を出せ!!隣でサモニムが信仰のない人に言ってもわからない。教会長もサモニムも…かわいそうに…何故、人を傷つけても神様を語れるのか?そんな家庭から子供は何をみて育つのか?

着任したばかりなのに

関係も十分築かれもしていないのに…?

神の名の下の責任転換された暴力でしょう。

その婦人は親戚からも真のご父母様の写真を踏み絵したら子供の結婚を許すと言われ絶対に踏まなかったかたです。


戦争も繰り返し忘れた頃また起きる戦争経験者、被爆二世の方、語り継がれても博物館にして残しても、それでもまた歴史は繰り返されようとしています。


神様の摂理としてお金を集め人を集めますがサタンも理念のためにお金を集め人を集めます。目的方向性は同じでしょうか?家庭連合は目的も方向もちがいをみつけるのがむずかしいです。この世の法で裁かれなくてはならなくなりました。


時を読むことはむずかしいことでしょう。伝道の書で言う時は正反対、極と極のたとえがあります。神のなされる事は皆その時にかなって美しい…

神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた…

それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない。


教会も世界も私が生きている時にすべてを見定めることはできないでしょう。でも神様は私の心にも永遠を思うおもいをさずけられました。

元気を出してがんばりましょう。

解毒…

情報過多時代…選択は自由

できれば、プラスになる方を選びたいものです。本棚にある教会関係の本、一通り目を通しては並べてます。引っ越しする方から昔のファミリー、祝福家庭など何箱も頂き同じ本が何冊かありました。今も断捨離中です。

しなければならない!分からないの?そうですね…何かわからないけどついて行った時間がありました。周りの祝福家庭も必死でした。でも必ずいつか時が来て解毒作用が家庭ごとに現れるんですね。身体も霊人体も家庭も…

Noと言える自分。

組織から外れて仲間はずれいじめられるかもしれない…陰口を言われる…恐怖心、不安、依存、習慣性、組織の中の自分、全体主義、一人の問題も自分の問題、報連相、すべてを中心につなげる。外れた人を見ると告げ口、自己正当化のためのみ言葉解釈、恥ずかしい!何もわかっていない!もっと反省しなくては、悔い改めなくては…そうして爆発寸前の私は責任転換の矢が自分の家族にむかう…自己の防衛本能が言動にあらわれ、それも幼い潔い純粋な子供、夫、家族…問題が現れて気付くこともあります。ヤバイ!と思ったら自己牧会したり、教会の方は原理的に考えるので摂理に貢献することをはなされる…

小さいことが何気ないことが積もり積もる…自分は死ぬほど頑張ってきた事を認められたい理解されたいできれば尊敬されたい…自分…そんな自分からは解放されたいですね。

一生懸命頑張っている人には心から

ありがとう。

ご苦労さまです。

ごめんなさい。

結びつけて考えるより解きながら生きることが知恵とおもいます。必ず前進しています。明日は今日の続きではなく新しい一日だといつも自分に言い聞かせます。死なんとするものは生きる。亨進様の牧会力はパワーがあります。弟子の足を洗われたイエス様

苦労した名もない食口の足を洗われた亨進様。祝福家庭にこれほどの宝があるでしょうか。子供達も宝です。未来です。のびのびと育ててあげましょう。